2013年5月10日金曜日

原子力発電所事故後1ヶ月以内の福島での、ホールボディーカウンターによる内部被ばく量の評価



長崎大学・福島医科大
山下俊一共著の内部被ばく論文(有料)
Naoki Matsuda, Atsushi Kumagai, Akira Ohtsuru, Naoko Morita, Miwa Miura, Masahiro Yoshida, Takashi Kudo, Noboru Takamura, and Shunichi Yamashita (2013)
Assessment of Internal Exposure Doses in Fukushima by a Whole Body Counter Within One Month after the Nuclear Power Plant Accident. Radiation Research In-Press.


アブストラクト

2011年3月11日の原子力発電所事故の後の福島での初期の内部被ばく量の情報は、当初の組織的困難、バックグラウンド放射線量の高さと放射能測定装置の汚染によって、かなり限られている。福島から約1200km離れた長崎で、2011年3月15日以来、避難者と福島県の短期滞在者の内部被ばく量がホールボディーカウンターによって測定されている。
水平ベッド型の、NaIシンチレーション検知器を2つ搭載したホールボディーカウンターが、3月11日から4月10日まで福島に滞在した173人の検査に用いられた。平均滞在日数は4.8日だった。内部被ばく量は、急性吸引のシナリオに基づいた推定量に換算され、そして預託実効線量と甲状腺被ばく量が評価された。I131、Cs134とCs137が、30%以上で検出された。福島に3月12日から18日まで滞在した人達では、検出率がそれぞれの放射性核種について約50%高く、3核種合わせると44%高かった。最大預託実効線量と甲状腺等価線量は、それぞれ1 mSvと20 mSvだった。この調査において対象者と対象居住区域は限られているが、この結果から、事故直後の福島での放射性物質の取り込みによる内部被ばく量は、恐らく確定的または確率的健康影響を及ぼさないであろう。

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上記の論文の元となったと思われる論文が、放射線医学総合研究所 平成24年7月10日(火)・11日(水) 第1回国際シンポジウム「東京電力福島第一原子力発電所事故における初期内部被ばく線量の再構築」議事録PDFの35−39ページ(ドキュメントの48−52ページ) に掲載されている。https://docs.google.com/file/d/0B3fFCVXEJlbvVUNqc0FvdXJqdTA/edit
福島第一事故後1ヶ月内の福島県への短期滞在者の内部被ばく量の遡及的評価

Retrospective Assessment of Internal Doses for Short-term Visitors to Fukushima within One Months after the Nuclear Power Plant Accident


アブストラクト

長崎医科大学のホールボディーカウンターを用いて、福島県の短期滞在者の内部被ばく量がモニタリングされてきている。2012年7月の終わりで、合計900人以上が検査を受けた。2011年3月11日から4月10日まで福島県に滞在した173人における最大預託実効線量と甲状腺等価線量は、それぞれ約1 mSvと20 mSvと評価された。


はじめに

長崎医科大学では、1968年から、原爆被爆者、チェルノブイリ原子力発電所付近の住民や放射性医薬品を投与された患者など様々な人達の内部被ばく量を調査するために、ベッド型のホールボディーカウンター(WBC)が使われている。東京電力福島第一原子力発電所での原子力事故後、福島県での短期滞在者の内部被ばくがモニターされている。この人達の内部被ばく量から、放射性物質の取り込みによって、福島県民がどれほどの内部被ばくをしたかが大雑把に分かるかもしれない。


方法(妙訳)

長崎大学のWBCは、NaI(TI)シンチレーション検出器2つ(直径8インチと厚さ4インチ)がそれぞれ光電子倍増管4つと繋げてあり、被験者の上部と下部に位置づけてある。この2つの検知器が、患者の全身を縦方向に、一定のスピードで20分間スキャンした。
甲状腺スキャンが放射性ヨウ素の測定に最善の方法だと分かっていたが、全身スキャンを用いたのは、時間が制限されている中、各患者の全身に存在していて検出可能な全ての放射性物質を測定するのが検査の目的だったからである。


内部被ばく調査は、900人以上に対して行なわれた。初期の被験者は、福島県の浜通りからの避難者であり、住民と出張者の両方だった。地震、津波と被ばく者の援助をするために長崎県から派遣された医療と政府のチームは、もっと後に検査を受けた。この内、173人が、2011年3月11日から4月10日の間に、福島県に4〜5日間滞在した。男性が156人、女性が17人で、平均年齢は42.2歳だった。測定日に得られた内部被ばく量は、各々の被ばくの正確な状況が得られなかったために、エアロゾル粒子(AMAD = 1 μm)の急性吸入と 吸収タイプFを仮定し、吸入日については、福島県での滞在期間の初日と最終日の両方を仮定し、各放射性核種の最初の取り込み量を換算した。さらに、地震と津波の後に公共の水道水の供給と食料の輸送が直ちに止まったため、地元住民と訪問者は店内や冷蔵庫内に既にあった、汚染されてない食べ物だけを食べたので、飲食による取り込みはこの報告では示されていない。そして、預託実効線量と甲状腺等価線量が推定された。


結果

図2(A)は、3月11日から4月10日の間に福島県に滞在した173人のうち、内部被ばくをしていた人数を示している。

I-131、Cs−134とCs−137が検出されたのは、それぞれ55人、67人と56人だった。Cs−134とCs−137検出の人数差は、Cs−134とCs−137の低エネルギーピークの分離度が悪かったからである。各放射性核種が検出された人数の、全被験者における割合は、3核種全てで30%以上だった。3核種全部が検出されたのは、45人の被験者からで、全体の26%だった。I-131は、Cs-134が検出された67人のうち48人(71.6%)で、Cs-137が検出された56人のうち45人(80.4%)で検出された。(表1)


しかし、I-131は、検査期間の後半では、不検出か、またはほとんど見られなかった。例えば、図3は、3月と4月に福島県に2度行った1人の被験者においてI-131から放出されたγ線の全身のエネルギー・スペクトラムである。3月13日から18日の最初の滞在時には大きなI-131のピークが見られたが、4月12日から21日の2度目の滞在時には、ピークが見られなかった。

最大推定被ばく量は、I-131が140kBq、Cs-134とCs-137が16kBqだったが、結果は個人によって広範囲で異なった。最大預託実効線量は、I-131、Cs-134とCs-137の合計で1mSvであり、ほとんどがI-131の寄与によるものだった。同じ人物における甲状腺被ばく量は20mSvだった。他の被験者では、預託実効線量は0.1mSv以下で甲状腺等価線量は2mSvだった。


考察

福島第一原子力発電所事故後の正確かつ信頼できる初期内部被ばく量再構築は、福島県にその時居た人や住民や作業員にとって望ましい。しかし、初期の内部被ばくデータ、放射性物質の濃度と食物の汚染レベルがないために、直接的および間接的な線量推定が困難である。被験者数がかなり少ないが、個人被ばく量は、ある場所でのある時の環境放射線量を反映するかもしれない。故にこの福島県での短期滞在者の内部被ばく量の結果が、地元での調査(原子力安全委員会調査、弘前大学調査、県民健康管理調査内の放医研による推定)による住民の正確なデータに加え、もっと多くの人達の大雑把な被ばく量推定へのヒントとなる希望がある。我々のデータが示唆するのは、大気中の放射能の吸入により、最低でもI-131、Cs−134とCs-137を含む放射性物質の取り込みが、事故後すぐの時期にあったということである。最大預託実効線量は1mSvと低かったが、吸入可能な量は、原発からの距離と風向きによって増えるかもしれない。福島県民の初期の内部被ばく量の実用的な再構築モデルは、内部被ばくの実測値、環境放射線モニタリングによる放射性物質の地理的分布のシミュレーションと原子炉から放出された放射能の正確な推定などを含む、入手可能なデータ全てを考慮して、早急に設立されるべきである。


結論

福島県への短期滞在者の内部被ばく量がホールボディーカウンターを用いて評価された。事故後すぐに福島県を訪問した人達の結果によると、被ばく期間が短くても、I-131、Cs−134とCs-137の複数の取り込みがあったと示唆された。この医療機器は、ヨウ素とセシウムの同位体両方を測定できた。


2013年5月7日火曜日

アルフレッド・ケルプラインによる日本における出生数の性比の分析




アルフレッド・ケルプラインは、ドイツの物理学者でチェルノブイリ事故後の欧州諸国における出生率、乳児死亡率、先天性奇形などのデータを統計学的に分析してきた。

最近では、福島原発事故後の日本での乳児・新生児死亡率のデータを分析している。

そのケルプライン氏のメールからの情報を紹介する。

「日本の出生時の性比(性比=人口における男性の割合)において放射能の影響があるかを調べた結果、2011年10月に性比がかなり低くなっていることがわかった。これは、男児の誕生が女児よりも少なかったということで、チェルノブイリ事故後の1986年11月の、チェコ共和国での性比の減少と類似している。」



ケルプライン氏のメールで言及されていたPeterkaらの研究論文はこれである。

Chernobyl: relationship between the number of missing newborn boys and the level of radiation in the Czech regions.
Environ Health Perspect. 2007 Dec;115(12):1801-6.


ケルプラインの指摘に該当する部分の要点は次のようである。

チェコ共和国では、1950年から2005年の間、1986年11月以外は男児の新生児数の方が女児の新生児数よりも多かった。これは、論文内の図3で示されているように、1986年11月以外の出産児における男児の割合が50%以上であることから分かる。



1986年4月26日に起こったチェルノブイリ事故から7ヶ月後にあたる1986年11月に男児の出生数が減ったのは、事故当時に妊娠3ヶ月目だった男子の胎児において、チェルノブイリ事故の選択的否定的影響があったためだと、この論文では説明されている。すなわち、男子の胎児の自然流産が増加したということになる。

ケルプラインによると、日本で2011年10月に性比が減少したのは、同じような理由で、妊娠3ヶ月目だった男子の胎児の自然流産が増えたからだろうということだ。